東洋医学から見る32~縄文人も使った?!ニワトコ


万能薬・ニワトコ

三内丸山遺跡から大量のニワトコの種が出土しています。

『もしかしてワインを作っていた?』

と一時話題になりましたが、日本のニワトコの実や種には毒性があり

『ちょっと難しいのでは』

となって今に至っています。


ただ生薬として使っていた可能性はあったのではないかと考えます。




セイヨウニワトコの実を、西欧ではワインにしていた時代もあったようですが、現在はイタリアの一部地域でリキュールを作っているくらいで、あまり利用されていません。


ワインが作られなくなったのは、木が減っているのか、単純に味が受け入れられなくなったのか?




ただ花はエルダーフラワーシロップとして、風邪の引き始めの民間薬として、今もヨーロッパで使われています。

(日本でもサプリメント会社から販売されています)


生薬としてのニワトコ・接骨木(せっこつぼく)

日本では古事記に『ヤマタヅ』という名前で出てきて、奈良時代から生薬として使われていた記録があります。



現在も第二類医薬品として販売されていますが、多くの漢方薬と違って他の生薬と組み合わせて使うことはほとんどありません。



一番使われているのがニワトコの茎(枝)でこれを接骨木

葉は接骨葉(せっこつよう)。花は接骨花(せっこつか)と呼びます。


どれも内服にも外用にも使えます。



”接骨”という名前からも分かるように、骨折や関節痛、筋肉の断裂などに煎じて煮詰めたものを湿布して使います。


また犬やへびに噛まれた傷には若葉の煎じ薬で洗い、接骨木(枝)や接骨葉を入浴剤にすれば筋肉や関節の痛みを和らげることから、縄文人も使っていたに違いないと思うのです。



そして炎症を取り、鎮痛効果もあるので、内服すれば、感染症などの解熱・鎮痛剤として使えます。


これは現代になってエビデンスが取れてきて、ニワトコに含まれるフラボノイドがインフルエンザなどある種のウィルスの細胞への侵入を阻害することが分かってきました。

大けがをした縄文人の謎

三内丸山遺跡では約1500年間、最大500人程度が暮らす集落だったことを考えると、それなりに感染症の流行やケガなどはあったに違いありません。


すると当然、薬の存在がなかったとは考えられず、ニワトコを重要な生薬として使っていたとしても不思議ではありません。




実際(三内丸山遺跡ではありませんが)骨盤に矢じりの先が刺さったまま治癒している縄文時代の成人男性の骨が出土しています。


「え?縄文時代って戦いによる傷が残っている骨はなかったんじゃないの?」

と思われるかもしれませんが、”矢じりの先が残ったまま治癒している骨”が意味するのは戦いとは真逆の状況です。




骨盤にまで達する深い傷となれば、大変な痛みと炎症が起こり、現代でも治療しないで放置したら死に至るような大けがです。


ところがこの男性縄文人は、傷がふさがり骨も再生するまで治癒している。

つまりこの傷が致命傷になっていないのです。


「やばい!ごめんなさい」

想像するに狩りの最中に、獲物と間違って放ったか、コントロールが狂って放たれた弓矢なり槍かなんかに当たってしまったと思われます。


つまり”事故”。



かなり強い痛みが続いたでしょうし、治癒した後も歩くことが不自由だったかもしれません。


こんな時、まさに接骨木や接骨葉で傷を洗い、炎症を抑えるために湿布したと考えられます。


となると、大集落だった三内丸山遺跡レベルになると、種を取っておいて木を増やした可能性があります。

(現代は挿し木で増やすことが多いようですが、長期保存や遠くまで運ぶ時には種の方が都合が良かったでしょう)

西洋では神秘の木

小説や映画で大人気の『ハリーポッター』でも特別な魔法の杖としてニワトコの杖が出てくるそうです。


西洋ではどちらかと言うと、”ニワトコの木”は神秘的であったり魔力がある・・もしくはやや不吉な存在として捉えられています。(花はシロップやハーブティとして使うのに)



それも裏を返せば、その効用を知っている人が「知られたくない。採らせたくない」といった考えから広めた話だったりします。


神聖な場所や物を守る時に、やはり人々を怖がらせて寄せ付けないようにするのと同じかもしれません。

北海道で生育するエゾニワトコ

エゾニワトコは本州や四国にも生育するニワトコと効用としてはほぼ同じだと考えられています。


アイヌの伝承によると馬の捻挫治療や人にも外用・内服用として使ってきたようです。


そしてこの木の香りが魔除けになると考えられ、儀式などにも用いた地域もあるようです。

また北海道の日高地方では、副葬品として使う習慣があり、非常に大切な木であるのは間違いありません。




三内丸山遺跡からは、北海道の黒曜石が出土しているので交流があったのは間違いありません。



となるとアイヌの伝承や北海道に残る習慣は、もしかして縄文時代からかもしれず、薬としてだけでなく、三内丸山でも何か祭祀にも使ったかもしれません。


そうならば栗同様、ニワトコも栽培していた可能性があり、縄文生活の想像がまた一つ広がるような気がします。