
『猫は奈良時代、経典をねずみから守る為に、大陸から船に一緒に乗ってきた』
と聞いたことがあります。
しかし近年の研究で、弥生時代中期の遺跡(長崎県壱岐市)からイエネコと思われる骨が出土しています。
しかもこれまでの教科書では、弥生時代は紀元前5世紀頃から始まったとされていましたが、九州北部で紀元前10世紀頃の水田が見つかり、弥生時代そのものの始まりが、一気に500年もさかのぼる説が有力となりつつあります。
となると、猫と人間の付き合いは、最低でも3000年にも長きに渡ることになります。
犬が人間と共にしてきた仕事や果たしてきた役目は、多くの文献に残されています。
”ハチ公”のように、世界的に名を遺した犬も少なくありません。
それに比べ、猫の記録は多くありません。
猫が”使役動物”というイメージがなかったことも関係しているかもしれません。
一方で、ペットとして非常に可愛がられた記録はあります。
日本でも天皇や貴族が書き残した文献に、しばしば猫が出てきます。

多くの国で主食となる穀物類は、ネズミの大好物です。
それを追いかける猫は、世界中で大活躍してきたはずです。
しかし犬が『人と共に何かを成し遂げること』
に喜びを見せるのに対して、猫は
『アタシの喜びのために追いかけてます』
という仕事ぶりが、物語になりにくかったのでは感じます。
”勝手気まま”
”マイペース”
と言われることの多い猫ですが、言い方を変えると
”人の顔色を見ない”
というところが猫好きの心をつかんでいる一つの理由になっているように思います。
しかし実際は、そこまで呑気ではなく、ちゃんと人を始めとした周囲の感情は読み取っていると感じます。
その上で、どの距離感で関わるか測っているのでしょう。
我が家の猫は、犬の粗相の始末していると甘えた声で近寄ってきて、手に体をこすりつけてきます。
まるで
「怒らないであげてね。ちょっと張り切って失敗しただけだから」
とでも言いたげです。(飼い主ばか?!)

また外出していて、犬のトイレシーツをすぐに交換できない時、帰宅すると半分に折ってある時があります。
これなどは人間のやることを見て、学んだのでしょう。
ある時、棚の上のトイレットペーパーが床に落ちていたこともあります。
おもちゃとして遊んだ形跡はなく、いつもきれいなまま落ちているので、これも人間がシーツを変えた後、周囲を拭き掃除している様子を見ているからかもしれません。
犬同様、人間にとって喜ばしいことをしてくれたら、盛大に褒めて育てたせいか、『何かする』ことを楽しんでいる様子を見ることができます。
反対に、遊びの中で興奮しすぎて爪が出てしまい、引っ掻かかれてしまった時は大げさに痛がりました。
するとどんなに遊びに集中しても、徐々にそういったトラブルは減りました。
よく『猫はしつけできない』と言われますが、そんなことはありません。
また『しつけなんかしたら猫の良さがなくなる』という意見もありますが、”しつけ”の内容によるでしょう。
犬と同じ”しつけ”である必要はありません。
ただ”同居人”としてのルールを理解してもらい、『一緒にいると楽しい!』と思ってもらえる”しつけ”は必要だと思います。
何でも自由にさせることが、愛情ではありません。
親猫だって、危ないことや猫のルールとしてやってはいけないことは”しつけ”します。ですから時には、人間が代わりに”しつけ”をする必要がある場面もあると思います。
3000年も共に暮らしてきた猫。
キプロスでは9600年前のお墓に、人と猫が一緒に埋葬されていましたから、日本でも3000年以上前から暮らしていたかもしれません。
猫だって人間とのコミュニケーションを望んできたからこそ、これほど長くそばに居てくれるのでしょう。
人間が思っているほど『勝手気まま』な猫さまではないのです。