
獣医さんの仕事と言えば、動物病院での治療の他、家畜の出産シーンや動物園での活躍はドキュメンタリー番組やドラマでもお馴染みでしょう。
しかし実際は、かなり私たちの生活に密接した場面で、多岐に渡る活躍をされています。
例えば食品衛生管理。
細菌類の検出や輸入食品の防疫も獣医さんの仕事です。
そして毎年問題になる鳥インフルエンザや口蹄疫など家畜の感染症対応。
感染が出た農場で、白づくめの防護服を着た人の姿が映し出されますが、あれも獣医さんです。
「県の職員が・・」とアナウンスされますが、『県所属の獣医さん』ということです。
定期的なワクチン接種や普段の健康管理だけでなく、ああいった過酷な環境での仕事もされています。
戦争は、全ての人の人生を大きく狂わせましたが、従軍獣医の話は、あまり伝わっていません。
当時、満州での移動は、ほとんど馬。
そのため多くの獣医が満州に渡ったとされています。

馬の診察をしている様子
また激戦だった南方戦線にも、南国ならではの感染症・寄生虫対応にやはり獣医が従軍しました。
その中の一人、陸軍松本駐屯地に勤務していた40代の中堅獣医・荒木宇吉中尉は、フィリピンへの出征が決まり、準備のために東京で借り住まいを始めました。
日本各地が空襲を受け、日々戦況が厳しくなる頃。
戦闘員ではないとは言え、出征先は激戦が予想されるフィリピン。
しかし宇吉は「戦争が終わったら、北海道で馬の牧場をやりたい」
と家族に言い残して旅立ちました。
絶望的な戦いの末、家族の願いも空しく、所属部隊は8月10日に全滅したとの連絡が入りました。
借り住まいの家族の元には、部隊全滅=死亡を伝える紙切れ一枚のみ。
遺骨も遺品も帰国することができませんでした。

昭和17年2月3日 冬季訓練中 仲間と共に
宇吉が生前、どんな経緯で縁があったのか、遺族も未だに良く分からないそうですが、東京・府中にある東郷寺に彼のお墓が用意されました。
この寺は、東郷元帥の別荘だった所に建てられ、元帥のお墓と多くの軍人たちのお墓があります。
また東郷寺の山門は、黒沢明監督の映画『羅生門』の撮影で使われたため、一部のファンの方には良く知られたお寺です。
遺族が、何も眠っていないお墓にお参りするようになって10年以上経ったある日。
フィリピンでの消息を知る人が、訪ねてきました。
違う部隊に所属していた人でしたが、医療従事者は貴重な存在でしたので、良く知られていたようです。
本来は獣医だったのですが、戦況厳しい中、軍医のような仕事もしていたのでしょう。
物資の供給が途絶えても、立場上、彼には食料が優先的に与えられていたようです。
しかし毎日出撃していく兵士たちに、自分の食料を分けていたと言います。
そして戦闘部隊は全滅となりましたが、宇吉は暫く生きながらえていたようです。
しかし迎えの部隊や船など来るはずもなく、終戦を知らないまま飢えで亡くなったとのことでした。
『戦争は、勝っても負けても何一ついいことはない。
動物は縄張り争いはしても、殺し合いはしない。
だから動物が好きなんだ』
荒木宇吉
遺骨は、フィリピンの地で土に還っているでしょうが、鎮魂の祈りは、東郷寺で続いています。
そして現在、東郷寺のご住職は、八戸から遠野へ移封された根城南部家第37代当主 南部光徹氏です。
ご先祖の一人と八戸とのご縁が、このような形で繋がっていたことを知ったのは今年。
世の中、偶然だと思っていたことが、実は不思議なご縁で導かれることもあるのだと、この年になって始めて実感しています。
もうすぐお彼岸。
お墓参りをして、ご住職・・いや殿の元へご挨拶に伺わねば・・・。